頭の左上のほうにあるとても大切な何かが詰まった引き出し

母が亡くなった。

入院生活が1年近くなろうとしていたある日の朝、プラグが着火しなくなったエンジンのように、あるいは電源ユニットが故障した家電製品のように心臓が止まり、鼓動しなくなった。静かで唐突な停止だった。

納棺と出棺以外は業者の手を入れず、全て家族とごく近しい人で送ると決まってから、通夜、告別式と準備運営に追われるままに3日間が過ぎ、ようやく感じる時間が取れていまこの文章を書いている。

入院生活の間に会えたのは結局2回だけだった。

最後の方は電話で話しても何を言っているのか聞き取れなかった。口から栄養を摂れなくなったことで口周りの筋肉が弱ったためだった。そもそも話している内容も現実から乖離して意味不明になりつつあった。

入院している間に何かできたのではないか。せめてもっと頻繁に会いに行けたのではないか。

自宅での生活にこだわり続けた母が入院しないで済むために何かできたのではないか。

家で転ぶ前に何かできたのではないか。

階段を下り坂道を登って通院することができなくなる前に何かできたのではないか。

筋力が落ち背中が曲がって台所に立つことが難しくなる前に何かできたのではないか。

バイクのスタンドを自力で立てられなくなって買い物に出かけられなくなる前に何かできたのではないか。

骨粗鬆症と診断されたときに何かできたのではないか。

どの時点で危機感を持てば、母は自宅で最期を迎えることができたのだろうか。

 

この1年間、母について何かを考えようとするとき、いつも頭の中に開かない引き出しのようなものがあった気がする。頭の左側、耳と頭頂の中間あたりにその引き出しは付いていて、何か大切なものが入っているのだけど、その上から何かを無理やり詰め込んで閉めてしまったせいで、引き出しが開かなくなってしまっている。大切なことをずっと思い出せないでいるのではないか、この状態のままではいけないのではないか。

引き出しを開けるにはどうすればいいのか。そのうち自然に開いて大切な何かが取り出せるようになるのか。それともこの引き出しごと大切なことを忘れ去ってしまうのか。

とにかくいまはまだ引き出しの中を整理することができないでいる。母が亡くなったいま、そこを整理しなくてはいけないはずなのだけれど。