misleadingな要約記事

Yendot経由、CIOとITマネージャーの課題を解決するオンラインメディア - ZDNet Japanの記事。

Linus Torvaldsが先週、次期「GNU General Public License(GPL)」のドラフトに含まれている、デジタル権利管理(DRM)を抑制する条項について、コンピュータセキュリティの弱体化につながる可能性があると、電子メールの中で述べた。Torvaldsは実用的な哲学の持ち主で、この発言にもそうした姿勢が現れている。

記事のタイトルがすごい。セキュリティの弱体化を招くからGPLv3はいかん、とLinus Torvaldsが言った。本当か?英語の元記事の出だしはこんな感じ:

Provisions against digital rights management in a draft update to the General Public License could undermine computer security, Linus Torvalds said this week in e-mails reflecting the Linux leader's pragmatic philosophy.

ふむ。元記事の出だしの翻訳は間違ってない。でもタイトルが全然違う。さらに元記事を読むと、日本語訳は元記事の前半部分しか訳していないことが分かる。まあ前半部分しか訳してないのはいつものことなのだが、元記事はTorvalds氏のメール(のアーカイブ)を適宜URLで直接参照できるようにしており、誤解を招かないよう配慮されているのに対して、日本語訳はそういう配慮を一切排除している。
もうこの時点で日本語訳を読むのは止めて、英語の元記事を読んでみる。そこからリンクされている元のTorvalds氏のメールも読んでみる。そうすると、Torvalds氏が言いたいのはセキュリティ云々ではないことが分かってくる。彼は自分の関心事であるLinuxカーネルを例にとってこう言う:

And it's important to realize that signed kernels that you can't run in modified form under certain circumstances is not at all a bad idea in many cases.

For example, distributions signing the kernel modules (that are distributed under the GPL) that _they_ have compiled, and having their kernels either refuse to load them entirely (under a "secure policy") or marking the resulting kernel as "Tainted" (under a "less secure" policy) is a GOOD THING.

Notice how the current GPLv3 draft pretty clearly says that Red Hat would have to distribute their private keys so that anybody sign their own versions of the modules they recompile, in order to re-create their own versions of the signed binaries that Red Hat creates. That's INSANE.

以下、参考訳:

電子署名したカーネルを特定の環境下で、変更した形では動かせなくすることは多くの場合悪いアイデアではない。これは重要なことだ。
例えば、ディストリビューションが自身のコンパイルした(そしてGPLで配布している)カーネルモジュールに電子署名し、彼らのカーネルにそれ(訳注:電子署名されていない、いわゆる「ディストリビューション公式」でないモジュールのことだと思われる)を(ある「安全ポリシー」の下で)ロードすることを拒否させたり、あるいは(「より安全でないポリシー」の下で)読み込んだカーネルを「汚染されている」とマークすることは良いことだ
現在のGPLv3ドラフトが、Red Hatが自身の秘密鍵を配布して、誰でも再コンパイルしたモジュールに電子署名できるように、Red Hatが作成した電子署名されたバイナリを再生成できるように、しなくてはならないと非常に明確に規定していることに注意しなければならない。そんなのはばかげている。

なので、GPLv3はいかん、DRM(というか電子署名)は有効に機能する場合だってあるんだ、ということだ。その点において英語記事の表題"Torvalds says DRM isn't necessarily bad"は正しい。しかしこれを日本語に訳すときになぜ「セキュリティの弱体化を招く」という主題になるのか。全然分からん。完全に大間違いである。まあ英語元記事の出だしがちょっと勇み足というかセンセーショナリズムに走ってしまっているせいなのだが、そんなもんマスコミの常套手段だし、同じマスコミがそんな常套手段につられて記事の論点を見誤ってどうしますか。
そして英語記事もまた、Torvalds氏の発言のオイシイところを抜き出して記事にしているせいか、ちょっと要点を外しているように思う。おそらく、彼の主張の要点は、英語記事からリンクされている、先ほどとは別のメールに書かれている(彼自身は"Side note:"と断っているが)。

The GPL already requires source code (ie non-protected content). So the GPL already _does_ have an anti-DRM clause as far as the _software_ is concerned. If you want to fight DRM on non-software fronts, you need to create non-software content, and fight it _there_.

再び参考訳:

GPL(訳注:ここではGPLv2)は既にソースコードを(つまり保護されていないコンテンツを)要求している。だから、GPLソフトウェアに関する限り既に反DRM条項を含んでいる。もしソフトウェア以外の戦場でDRMと戦いたければ、ソフトウェア以外のコンテンツを作って、その戦場で戦うべきだ。

そして彼は、コンテンツをDRMから守る武器として既にCreative Commonsライセンスがある、と説く。上の一文は英語記事にも載っていないが、DRMが問題だと思うならDRMで保護されていないコンテンツを使えばいい、という主張は英語記事の中でも彼のメールを引用しながら説明を尽くされており、その点は英語記事で十分伝わる。そして彼の主張は非常にはっきりしており、その意味では日本語記事の冒頭にある通り、彼は「実用的な哲学の持ち主」だ。実用的な哲学を武器にしてクールに戦っているのだ。
でも、セキュリティの弱体化を招くからGPLv3はいかん、とは、Linus Torvalds氏は言ってませんからね>ZDNet Japanの中の人。

すみません、前半部分しか訳してないというのは私の勘違いで、単にページが2つに分かれていただけでしたので、その部分の記述を削除しました。

あと、いま気づいたのですが、同じ人の編集校正によるCNET Japanの記事は「DRMは必ずしも悪くない」と英語記事ママのタイトルになってますね。でも本文は全くおなじっぽい。なぜでしょうかね。

同じ話題を扱ったIT Proの記事は片方のメールだけですが、いい感じに要約されていると思います。本文の後に当該メールへの参照リンクが付いているのが素晴らしいです。

japan.linux.comからはTorvalds氏のメールそのものの日本語訳が出ているので紹介しておきます。

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