ゲーム脳

川端裕人さんのブログより。

最近、保護者会にて「ゲーム脳」について注意を喚起する資料が配られました。また、本日、「ゲーム脳の恐怖」の著者である、森昭雄氏の講演が教育委員会の共催で開催されるとのちらしを息子が学校から持ち帰りました。

ああ、ワタシの息子が通う小学校でも森さんの講演会が開かれるという情報がありました。貼り紙出てました。別の行事の折に校長先生が講演会に「ぜひおいでください」みたいなことも言ってました。そのときは「ふーん、また誰か洗脳されたのね」くらいにしか思ってなかった。自分は彼の言うことが似非科学だと分かっているし、子供もそんなもん関係無しにゲームとかやるだろうと思ったし(実際やってるし)。
しかし川端さんは違う、その後延々と教育委員会などとやり取りをし、直前まであきらめずに講演会の開催を再考するよう働きかけている。なぜそこまでするか。その理由も述べられている。

(1)森氏も含めて、ゲーム脳論者は、テレビゲームや、携帯ゲーム、携帯電話などの、情報機器を一切、「悪」と決めつけて、本来、目を向けるべきかもしれないほかの諸原因から目をそらすような論調をとる傾向があります。森氏自身が「自閉症の原因はゲームをさせた親の責任」などと論じ、顰蹙を買ったのもその一例かしれませんし、単にゲーム好きというだけで「キレる子」というレッテルを貼られるような差別につながりかねないとも懸念します。

(2)また、今後、わたしたちの子供が、高度な情報社会の中で生きていくにあたって、ゲームを含む情報機器は、一面的に排除することはできないものです。良いところもあれば、悪いところもあるものとして、「付き合い方」を教えていかなければならないものと感じています。「ゲーム脳」の議論は、ゲームを一面的に「悪」と決めつけることによって、「付き合い方」を探ることも否定しかねません。

(3)さらに、まったく確立していない「未」科学的な議論を、あたかも科学的なものとして紹介することは(区の主催で森氏を講演に招くということは、そういうことだと認識します)、理科教育、科学教育としては、とてもまずいことではないでしょうか。

(4)小学校の高学年ともなれば、子供はインターネットで自分で検索し、「ゲーム脳」の根拠が曖昧で仮説としても成立していないことを発見し、理解することができます。教育の場で「ゲーム脳」をとりあげることは、教師や「大人」対する、不信感へもつながりかねません。「先生」に対して敬意を抱けないのは、子供にとってとても不幸なことです。

(2)については、子供はだめと言われてもやるものなので(実際やってるし)、パソコンも放っておいても時々触ってるし、まあ付き合い方は自分で見出していくかなと思う。(4)についても、大人や教育者が全知全能ではないのは当然なので、それはそう思ってもらって構わないと思う。むしろ人間を一面だけで評価するようなことのないよう導いてやることが、大人の役割じゃないでしょうか。
まあその辺は教育論になってしまうので、ワタシはそうは思わない、と述べるにとどめます。
しかし(1)と(3)はまずい。非常にまずい。子供がゲーム好きというだけで差別されたらかなわん。かわいそうだ。似非科学を科学と思われてしまうのもかなわん。論理的思考が育たなくなってしまうかもしれない。
というわけで、川端さんの意見(の一部)には大いにうなずけるものがあります。ワタシも、今後講演会やゲーム脳否定教育が行わるという情報を入手したら、今後は声をあげていこうと思います。

サンデー毎日

ゲイムマンのブログ:砧公園秘密基地で紹介されていたサンデー毎日ですが、買って読みましたよ。ゲーム脳の当事者、否定する科学者、両方の意見を併記しつつ、全体的には懐疑的なトーン。
しかしこの内容の薄さはなんだ。非難合戦?そんなもん読みたくねえ。白黒つけもしない。科学的になぜダメなのか、素人のワタシにも分かるように解説してくれ。何のために320円も出したんだ。ぼったくりだ。

…はい、サンデー毎日にそこまで期待したワタシが馬鹿でした。しかし東横インについて、牧太郎さんによる、東横インの業績を評価する文章と、その次のページに江川紹子さんの義憤記事を掲載しているのがとても楽しかったので元は取れた。許す(←誰を?)。ワタシの意見はやや牧さんよりだ。サラリーマンだからかもしれないけど、安いのは(それに伴うリスクが明示されていれば)いいことだ。もちろん法律や条例は守ってくださいね。
…ありゃ、話がそれちゃった。

教師は全知全能じゃない

全知全能じゃない、というと大げさかもしれないが、要は先生だって間違うこともあるし、大人だって周囲に流されて正しいことを言わなかったり、間違ったことを信じ込んでしまうものです。それはそうですよね?
ワタシはそれを子供のころ、小学校の図書館で「はだしのゲン」を読んで知りました。戦争という社会状況が大人たちをどのように麻痺させていくかを。そしてもう少し大きくなって、人は戦争じゃなくても自分の判断力を麻痺させて都合のいいストーリーに盲従していくものなのだ、とも知りました。オウム真理教とかね。
…余談でした。そして、だからと言ってその大人や先生を尊敬できないかというと、それは別の話ですよね。間違ったことを信じていても人間として立派な人はたくさんいます。ワタシは「ゲーム脳」を信じませんが、だからと言って森さんを「科学者として失格」とまで言ってのける科学者を、その人となりを知らずに尊敬はできません。
そういうこと。