理解できないものを排除して得られる安全とは

先日、回覧板で「通学みまもり隊」だか何だか、そのような名前のものにボランティアで参加を求めるチラシが回ってきた。小学生の子供の登下校ルートに腕章を付けた大人を配置し、声かけしたり、子供に危害を加える人がいないか見張ろう、というのだ。下校中の子供が拐われて殺されるという事件が発生したので、類似の事件から子供を守ろう、ということらしい。ものすごく違和感を感じた。

この本の帯にも書いてあるが、凶悪犯罪も少年犯罪も増えていない。はっきり言って減っている。それなのになぜ、僕たちが子供のころには誰も考えもしなかったそのような見張り番を立てたり、医療観察法が施行されたり少年法が改正されたりするのか。
この本はそのような僕の違和感をすっきりと解決してくれた。変わったのは犯罪の性質でも、異常者や虞犯少年の性質でもなく、私たちの側だったのだ。私たちが犯罪者を理解する努力を放棄し、自分達の常識に当てはまらないものを排除して得られる過敏な安全を求めているのだ。
そのような安全は、いつか私たち自身をその安全な枠の外へ追い出し始めるだろう。