「責任は俺が取る」という無責任

でも、「責任は取る」って、意気込みを示す言葉としてはともかく、美談(?)としては扱ってほしくない気がするのだ。

だって、何かが起きた時、誰にも責任なんてとれないから。 「責任を取る」という発言の多くは、実は問題が実際に起きた時には、無責任な発言だったと分かる。

責任を取る、と言われた方は気が楽になって危ない橋を渡るかも知れないが、橋が崩れ落ちたときに「責任を取る」と言った本人はどう責任を取るのか。それは責任を取るという形になっているのか。被害を補償できるのか。
そういうことを踏まえずに簡単に「責任を取る」とか言うな。ということですな。
最近の例で言うと、永田議員が堀江メールで暴走して国会が空転したことの責任を取って野田国対委員長が辞める。それは本当に「責任を取った」ことになっているのか。空転した国会の日程は誰が補ってくれるのか。税金の無駄遣いは誰が補填してくれるのか。…いや、違うな。これは事後処理が事後処理になっていないという例か。
まあでも、ちゃんと責任を取れないリスクについては、回避すべく万全の準備を怠るな、ということではある。そのへん、旭山動物園がどう振る舞ったのかが興味深いというか心配なところです。アクリル板が割れたりすき間から水が洩れてきたりしたら、そのとき展示室にいる人は…この場合の補償は、例えば保険とかそういうことになるんでしょうか。どうなんでしょうか、教えて中の人。