「仕方ない戦争、正しい戦争なんてない」と熱く語る俺

飲み会。とちゅうから歴史教育の話になり、歴史は誰が正しいとか間違っているとかじゃなく、事実の列挙から教訓を学ぶ学問なのだ、と熱く語ってしまった。
南京大虐殺があったとかなかったとか、あってもずっと小規模だったとか、そういうことはどうでもいい。どうでもよくないのだが、本当にどうでもよくないのは、「罪もない人を殺してはいけない」ということだ。
人数の多寡を問題にする人達は問題の本質を数の問題に矮小化して何かをごまかして利益を得ている。やつらの言うことは眉に唾して聞け。
従軍慰安婦があったとかなかったとか、強制だったとか職業としてやっていた、そういうことはどうでもいい。どうでもよくないのだが、本当にどうでもよくないのは、「売春はよくない」ということだ。
私たちは本質的には何かに嫌悪感を持っている。それは肯定も否定も関係なく全ての人々の共通認識といってよい。だからそれを全力で認める、あるいは全力で否定する、そうしないとレーゾンデトゥールを保てない。でも本当に重要なのはあなたのレーゾンデトゥールではなく、その嫌悪感の正体を見極めることだ。
戦争だから人殺しは正当化される、なんてことはない。
君のために僕は死ににいく、なんて美しくもなんともない。
死にたくなければ即時降伏すればいい。
そもそも戦争なんか始めなければいい。
負ければいいんだ。
殺して勝つより負けて生き残る方がいい。
などと、酒に酔った勢いで熱く語って終電を理由に言い逃げした。卑怯だ>俺