ミシュランガイド東京2008

面白そうなので買おうかと思っていたのだが、JMMにも寄稿している評論家、山崎元さんの評論を読んで気が変わった。

率直にいって、ガイドブックとしての実用性は高くない。一店について見開き2ページで、文章は右側の1ページで、20字×(20行〜最大30行)という構成だが、説明は店(料理人)の歴史と内装に偏っていて、料理そのものの良し悪しや、何がどのように美味しいのか、その店は何が得意なのか、どのくらいの価格かという点に関する情報量が乏しい。

それはちょっと役に立たない感じだな。具体的にその店でどんな料理を食べると美味しいのか、とか、そういう情報が欲しい。極端に言うと店構えとかどうでもいい。むしろ堂々とした店構えの方が気後れしてしまう。小市民なものですみません。
結局、投資の格付けと同じで、ある種の需要において「外れのない」店をリストアップした、という感じなのだろうと思う。ミシュランは店に金をもらったりしていないそうなので、投資格付けとは違って信頼性はある程度保てていると思うし。
投資格付けは逆に評価対象の企業とかから金を取って「評価してやっている」ので、どうしても金をくれる企業に甘くなってしまうというか、そうでないと企業側にもわざわざ金を出す意味が無い。だから結局、何を格付けしているのかというと、格付け会社のお得意様度ランキングみたいな要素が多分に加味されたものになっている。というのが、今週のJMMの評論家たちの統一された論調だった。その中で誰だったか一人だけ「投資家が金を出して格付けする会社があれば機能するんじゃないか」と言っていた評論家がいて、それはいい意見だと思った。ミシュランも本の売り上げが目当てということで、まあある種の消費層に訴求する本を書いているのだろう。
残念ながらワタシには訴求しないみたいだ。まあワタシはそんなに金も持ってないし、ミシュランが想定している読者じゃないよね。ふふ。

ところで、このブログを始めるとき、食べ歩き、飲み歩きの記事をかなりの分量、たぶん二、三割くらいは書くのではないかと思っていたのだが、振り返ってみると、「飲み食い」のカテゴリの記事が少ない。理由は二つある。
 一つには、食べ物を目の前にして写真を撮るのがマナー上どうにも感じが悪く思えて抵抗があることだ。もう一つは、店の「評価」を書こうとすると、いいことばかりは書かないと思うのだが、自分の書いた文章が、現実に商売をしている人達のマイナスになるかも知れないことについて、食べ物の世界では覚悟を十分持てないことが原因だ。

まともな神経を持っている人なら誰でもそこで躊躇するよね。よかったと思うものを褒めるだけにする、というのが無難かなあ。悪口ばかり書いても誰も幸せにならないが、良くないものは褒めない、ということで、やはり一定の淘汰は働くと思うので。