右手と左手が別のことをしている

という極端な例を、今朝の安部内閣メールマガジンで見かけた。

●質問

「いじめについて松井選手の意見がありましたが、いじめを見て見ぬふり
をする人もいじめる人と同罪という意見が巷にはありますが、声を上げる受
け皿をまず作らないと、声を上げたはいいが、逆にいじめを受けるような結
果になってしまいます。」(男、40代、会社員、東京都)

●回答(文部科学大臣政務官 小渕優子

ご意見ありがとうございました。
(中略)
文部科学省では、子どもの悩みや不安などを受け止め、また、いじめを積
極的に大人に伝えられるような機会を充実するため、夜間・休日も含めて
24時間、いじめ問題に悩む子どもや保護者からの相談に対応できるよう、
都道府県・指定都市教育委員会が行っている電話相談体制の充実に取り組ん
でいます。

とか書いてあるすぐ下の記事。

● 信頼できる子どもと教師の関係を
(横浜市立六浦中学校生徒指導専任教諭 新谷隆司)
(中略)
<大人が変わらないといじめはなくならない>
いじめは大人社会の抱える問題が投影されたものだ。自分たちと異なる意
見を持つ人を受け入れない、自分を含む多数と違う人を攻撃する。偏見や差
別意識が強くなっていて、事実でなく思いこみや誤解で人を攻撃するケース
も多い。いずれもコミュニケーションの不全が進行しているのが事実である。
(中略)
子どもの問題解決に正解はない、あくまでも子どもに寄り添い子どもを信
じるだけだ。正解は本人の中にのみあるからである。

子供はいじめられても親に相談できない。親を含む大人たちの社会が子供にストレスを与え、それが子供の世界でいじめとなって現れているのだから。まして顔も見えない大人になんて相談できるわけがない。僕たちにできることは、子供たちを見守っている、と態度で示しつづけることだけだ。
というわけで、小渕さんは重松清の「カカシの夏休み」を読んでください。

カカシの夏休み

カカシの夏休み