車イスとテニスシューズの違いとは

小学3年生の夏の終わり、なんの前触れもなく突然泳げるようになった時の、世界が広がるような感覚を、今でも憶えている。

 

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それまでできなかったことがある日できるようになると、本当に世界が広がるのだ。

自転車に乗れるようになると活動範囲が広くなる、というのもその一例だけど、僕が言ってるのはもっとメンタルなことだ。

 

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車イスを操ってテニスをプレイする選手にとって、車イスはラケットと同じ道具であり、欠くべからざる「自分」の一部だ。

自分の足で立ってテニスをプレイする選手にとって、靴が欠くべからざる自分の一部であるのと同じことだ。

そこに開発コストをかけて、よりよい脚を手に入れることの何がいけないのか。

トッププレーヤーがメーカーと組んで道具を開発し、その成果が一般のプレーヤーにも還元され、より多くの人がスポーツを楽しめるようになり、道具が売れてメーカーも開発費を回収する。プロスポーツとはそういうものだ。

あと1cm先のボールに届きたい、より深く強く打ち返したいという気持ちは、健常者も同じことだと思う。その気持ちに金額でレギュレーションをかけるのは、間違っている。

 

レギュレーションとは、競技としての健全な形が損なわれるような変化にこそ課されるべきものだ。ドーピングしかり、卓球のラバー補助剤しかり。

 

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反発力のあるバネを仕込んだり、動力を組み込むなどして運動能力の拡張を図るようなものでない限り、車イスの改良は制限されるべきではないだろう。

 

また、障がい者というだけで、私たちは健常者と異なる特別ルールを付与しようとしていないだろうか。

 

バスケットボールのコーチをしている下地一明氏について、昨日、テレビで感動ドキュメンタリーみたいなことをやっていた。

 

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コーチとしてのキャリアの途中で3度目の解離性大動脈瘤を発症し、一度は足が動かなくなったが、周囲の励ましと支えで 現場に復帰し、今では松葉杖なしで立てるまでに回復して故郷で小学生にバスケットボールを教えているということだった。

 

健常者だと感動ドキュメンタリーなのに、これが最後車イスでも頑張って故郷でバスケットボールのコーチをやっている、だと、感動の押し売りだとか言われてしまうのだろうか。

松葉杖か車イスかは結果であり、努力に嘘はないはずだ。

 

先天的な症例に限らず、私たち健常者も、もしかしたら明日、あるいは今日にでも、身体の自由を制限される事故に遭ったり、病気になる可能性がある。

障がい者スポーツの発展、社会参加の機会の拡大は、自分たちへの将来投資でもあると思う。

これからもパラリンピックが発展していくことを願ってやまない。