会議に人数分の資料を持ち込まないことについて

昔からワタシの職場では、会議には人数分の資料を用意して配布するのが当然、という雰囲気があってワタシも会議で何か喋るときには資料を人数分用意するのが当たり前みたいに思っていた。
しかし何度も会議で議題を振る側になってみんなが聞き入っている中で喋ることにもだいぶ慣れてきて、さらには自分が会議を主導する立場になってふと気づいたのだが、
会議に人数分の資料なんて必要ないだろ。

  • PowerPointのプレゼン資料を印刷しただけのハンドアウトとか(画面見ろよ!話を聞けよ!)
  • 似たようなグラフがたくさんと、明らかに舌足らずな文章がちょろっと載っているだけの、後から読んでも多分理解困難な資料とか(そういうのに限って議事録も舌足らずだったり)
  • みんなが同じ資料を覗き込んで、しかも説明者が絵を掲げて何か書き込んだり特定の一ヶ所を指して何か補足していたり(みんな彼の手元を見ろよ!て無理かw)

なんでそんなことになってしまうかというと、全部結局、みんなの手元に資料があって、思い思いのペースで資料を読んだり、説明とは関係ないページを先走ったり後ろに戻ったりして読んでしまうからなのだ。そしてそうなってしまう原因は、みんなが説明された情報を共有できていないこと。共有させていない説明の仕方がまずいのだ。
だから、説明のやり方として、会議には人数分の資料を用意してはいけない。以下に現時点のワタシなりのノウハウを列挙しておく。

資料は事前に提示しておく

会議のアジェンダ(最低限、何を話し合うかの要点書き)と、これを読んでおいてほしい、という(なるべく簡潔にして要点を押さえた)資料を事前にメールなり手渡しなりで配布しておく。
ここで重要なのは、あまり多くの分量を渡さないこと。一度の会議でできることは非常に限られているとワタシは思う。以前、全部読むのに1週間くらいかかりそうな量の資料を事前に渡されて、その内容をかいつまんで紹介されながら4時間半くらいのロングラン会議、というのに出席させられたが、控えめに言って死ぬかと思った。もう二度と出たくない。でもまたあるらしいよこれが。そんな会議がゴールにたどり着けるわけが無いと思うんだけど。

どう話すかを考えながら資料を作る

自分がその資料を使って何をどう話すつもりなのかを考えながら資料を作る。配られた資料を事前に完璧に読んできちんと内容を理解して会議に来てくれるヒトは皆無だと思った方がいい。そんなヒトは逆にもう会議を欠席していただいて結構です。出なくてももう理解していただいたので。理解できないだろうから会議を開いて説明するのだ。そして、出てきて聞いた話の内容と事前の資料が整合してなかったり、書いてない話を始めちゃったりすると聞き手は絶対混乱して、質問が多発し、会議は思ったように進まなくなる。
だから、話す内容、話す順番に即した資料の作り方をするかしないかで、会議における自分の主張の通り方は全然違ってくると思う。

話すことは全部資料に書いておく

少なくとも自分は資料を見ながら説明するので、言いたいことは全部書いておかないと忘れてしまう。また、仮に事前に練習したりして書いてないことを言えたとしても、それを多分出席者はメモするので、その間会議はストップする。その時にうっかり質問が出たりしてそれに答えちゃったりすると、そのやりとりを聞いているヒトといないヒトで理解度に出席者間で差がでる。資料にどれだけメモを書かせないか。それが勝負の分かれどころだと思う。

そして、資料は配らない

会議の場で資料は配らない。少人数であれば(3〜5人程度)自分の手持ちをみんなで覗き込みながら説明する。余計なメモも取れないし話を聞くしかない。説明しながら必要に応じて資料の一部を指すと、みんなその指している場所を見るので、みんなが同じ情報を共有する。質疑応答だって一つの資料でやるから認識を共有できる。
人数が多ければパワーポイントとかまあそういうスライド形式のもの、あるいはワープロの文章を直接プロジェクタで写してもいい、とにかくそこを見るしかないという状況を作り出す。これが重要。
事前に資料を送付しておくのは、この時細かい部分を見落としても、事前にある程度見てあるので話にはついてこれるという状況を作り出すための伏線であった。ジャジャーン(無駄な効果音)。

最後に、一番重要なこと

もちろん、一番重要なことは、説明すべき事を的確に説明できる資料と、きちんと説明しきるだけの準備を自分の中に積んでおくことだ。これだけは場数を踏んで自分なりの書き方、話し方を見つけていくしかない。他人が何かアドバイスできるものじゃないと思う。
と、ここまで書いて、明日の会議で説明する資料を配ってないことに気づいてしまった。やばいよ。どうしよう。うーむ。でも多分配らないなオレは。