ライセンスをちゃんと理解して使え

[実装編]ソースを流用してはいけない:ITpro という記事に同意できない。

PCの周辺機器メーカーであるエレコムは2004年,同社製ルーターの利用者からファームウエアのソース開示を求められた。そのファームウエアには,GPLGNU GENERAL PUBLIC LICENSE)に従う「Linux Kernel」のソースが一部流用されていた。GPLの効力はオリジナルを流用したソフトにも及ぶので,ソース開示の要求に応えなければならない。だがソースを開示すると,ネットワーク越しにルーターの設定を変えたりファームウエアを更新したりする社外秘の保守機能が“公知の脆弱性”と化す。同社はGPLに従いソースを開示するとともに,保守機能の削除に追われた

なんでその話の結論が「ソースを流用してはいけない」になるのか分からない。Linuxカーネルのソースに変な機能を組み込んだせいで、ライセンスの効力が組み込んだ機能にまで及んでしまったのだから、そうしたくなければ厳密に別のプログラムとして保守機能を動作させればいいだけのことですよね。
だから、結論としては

ライセンスをちゃんと理解して使え

ってことじゃないんですかねえ。そのための一つの雛形としてのGPLであったり、BSDライセンスであったりするわけで。
だいいち、開発の現場で「ソースを流用しない」なんてことが可能なはずがない。大体、自分が昔書いたソースや他人が書いたソースやそのへんに転がっているソースをちょこちょこっと改変して自分の現在の要求を満たすようにして使うのが当たり前というか。似たようなものがそこにあるのに一から車輪を再発明するなんて非効率なことをやっていられるほど時間も予算も潤沢にあるプロジェクトなんてどこにあるんだ。
そういえば今日も仕事で人様のツールをちょこっと改良して使ったなあ。あれ、パッチにして機能追加提案してみようかなあ。そうやってみんなで幸せになれない現場って、なんかかわいそうだ。

追記

もっとちゃんと書いている人がいたので紹介しておきます。
13Hz!: ソースを流用をしないことなど不可能

海外ではオープンソースを利用しながら、ライセンスやテストの問題を回避するマネジメントが進められる一方で、日本ではIT専門サイトに「ソースを流用してはいけない」などという低レベルな極論が平気で掲載される。

げんなりしますな。