<a href="http://5cm.yahoo.co.jp/">秒速5センチメートル</a>

で、なぜ電車で1時間以上かけて渋谷に行ったかというとこれですよ。秒速5センチメートル。観てきました。以下感想など。

なぜ人は一つの気持ちを信じて持ちつづけることができないのか

新海監督は

観終わった後に、見慣れた風景がいつもより輝いて見えるような、そんな日常によりそった作品を目指しています。

と書かれているけど、ワタシはこの映画を見終ってとても悲しい気持ちになった。風景はむしろ燻んで見えた。作品が悪いというのではなく、なんというか、主人公たちの気持ちの一部にとても強く共感してしまったからだと思う。
想いを伝えたいと願う気持ち、叶えてほしいと願う気持ち。そしてその気持ちをいつしか失ってしまったと気づいたときの空っぽの心。脱力感。かつて自分も感じた気持ち、通ってきた道がこの映画にはあった。
みんながその踏切で振り向くのなら、相手も振り向いてほしいと強く願うのなら、なぜ人は一つの気持ちを信じて持ちつづけることができないのか。まさかそんなことあるわけないか、と苦笑いしてまた前を向いて歩み去ってしまう、ワタシももうそういう風に成長したのだ、悪く言うとなり果ててしまったのだ。
この先僕たちはどこへ行くのか。どこへ行けばいいのか。
彼らが、そしてワタシも、その日のことを今懐かしく思い出すとき、そこに注ぐ視線はもはや取り返しがつかないほどそれぞれに異なってしまっているということは、とても悲しいことだと思った。

生きていくための力となる

とか書いておきながら新海監督のインタビューを聞いて、一つは腑に落ちたというか、まあ確かに、そんな思い出が今自分が生きていくための力となっている部分も確かにあるのだなと思った。
なぜメールじゃないのか、という質問があって、それに対する監督なりの解釈を聞いて、ワタシとしては、やっぱり手紙の先にある人とそれに纏わる記憶や感情、そういうものにはもはや手が届かない距離まで遠ざかってしまったなら、それはその距離に置いて、それを糧に今を生きていく、そういう選択なのだろうなと思った。
だって、電子メールって距離感台無しやん。
手紙がいつしかお互いに届かなくなって落ち込んだりもするカットが最後のほうに挟まれていたけど、それはやはり、もう少し前を向いて生きていくために必要なプロセスというか、いつかはやってくる別れの日、なのだろう。
たとえ、やはりそこに最後まで奇跡を求めつづける気持ちがあるのだとしても、それすらも力に変えて生きていけ、ということなのだ。