<a href="http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/archive/news/2006/10/23/20061023ddm041040164000c.html">体重7キロ、3歳児餓死</a>

児童虐待のニュースが流れると、「なぜ子供を救えなかったのか」という観点で児童相談所の対応のまずさばかりが非難されることが多いわけだが。
子供を守る、というのは、児童虐待の対策としては、対症療法でしかない。根治療法としては、親を守る仕組みを作ることが必要なのだが、マスコミはそのことにはあまり触れようとしない。

果たして児童虐待は昔に比べて増えたのか?どういう統計を見ればいいのかよく分からないのでちょっとそれは後回しにしておいて、ここでは児童虐待が増えているという前提で話を進める。もし児童虐待が昔に比べて増えているのなら、増える原因があるはずだ。新しく社会現象として発生した何か、または失われた何か。児童虐待が発見されにくくなったわけでは決してない。今回の例でも、近所の人たちは子供が必要以上に厳しくしつけられていること、少なくとも時折食事を与えられていないことは承知している。児童相談所も聞き取り調査を行っている。ではなぜこの子は死ぬまで救われなかったのか。
ワタシは、その原因は「子供を救うことしか考えなかったから」だと思うのだ。
たとえ子供を救い出しても、誰かが面倒を見なければならない。養育施設へ入れるのも一つの解決方法かもしれないが、それでは虐待の発生を防ぐことにはならない。虐待しているのは親なのだから、親をなんとかしないと問題は解決しないのだ。
虐待は密室で起こる。密室を開かなければならない。そもそも密室にならないようにしなければならない。そのためには何をどうすればいいのか。考えなければならない。

おむつ外し

今回の虐待死の直接の原因は「おむつ外しが思うように進まなかったこと」だ。

西村容疑者は「(9月1日に)3歳になったのにおむつが取れないので、しつけのために殴ったり食事を与えなかった」と供述。9月中旬ごろから食べ物を与えないことが始まり、21〜28日にはほとんど食事をさせず、それ以降は4〜5日に1回コーンフレークを与えただけだった。同月下旬からは殴ったりしたという。

おそらく、食事をさせなければ排泄もしない、という考えもあったのだろう。しかしそれは間違いだ。人間は食べなくても排泄する。少しでも食べれば排泄する。水を飲ませなければ死んでしまうが、水を飲めば排尿する。
子供が一人立ちするまでの育児の過程で、おむつ外しは実はとても大きなハードルになりうる。タイミングさえ合えば、オムツをパンツに変えてみたらあら不思議、ほとんど失敗せずにパンツへ移行できてしまうが、タイミングを間違うといつまでもおもらしを繰り返してパンツを汚してばかりになる。そしてこのタイミングに非常に大きな個体差があり、見極めはほとんど不可能に近い。早い子は1歳になるまえに尿意を伝えられるようになるし、遅い子は小学生になってもうまく便意を自覚できない。遺伝的要因だけではないらしく、兄弟でもおむつが外れる年齢は異なることが多い。
育児に関する情報も非常に多く、おむつ外しマニュアルみたいなものまで出回っている。そんなものが本当に使えるならこんな虐待は発生するわけないのだから、そんなマニュアルが役に立たないのは自明だが、育児している親は藁にもすがるような思いでそんな情報を漁る。現代の親にはオムツ外しをさっさと済ませたい様々な理由があるのだ。仕事に復帰したい、早く楽になりたい、そして「上手に育てたい」。うまくいかないと、自分がかつて育てた年上の子供と比べる。近所の子供と比べる。「あの子は2歳で外れたのに、この子は…」。きれい好きな親にはさらにストレスが加わる。家を汚されたくない。掃除が面倒だ。
そして思うとおりにならない、弱い子供へ、ストレスのはけ口が向かって虐待になる。
ここまで考えればもう明らかだろう。そもそも救うべきは、親だ。

児童相談所だってバカじゃない

児童相談所だってもちろん子供を救うことだけを考えているわけではない。子供を保護したあと、親と面接し、家庭の問題を取り除こうと努力する。うまく機能して問題が解決する場合もある。解決できないで子供が養育施設に送られる場合もある。親も含めてみんなが問題だと思っていたことが解決したように見えて、実は問題の本質じゃなかったせいで、問題が再現することもある。
さらに、問題にするほどじゃないと判断したらやっぱり大問題だった場合もある。今回のはこのケースだ。しつけが行き過ぎて食事を与えない、というのは問題の表層、氷山の一角に過ぎないはずだ。オムツ外しだって、臨界点を超える原因ではあっただろうが、それだけで子供を殺す親はいない。ざっと考えるだけで、

  • オムツが外れないのは個体差だから、子供を叱っても仕方がない
  • 自分のやっていることがしつけの度を越えて虐待である
  • 日常的にしつけが行き過ぎる、もっと言えば虐待する、傾向があったのではないか

ということを、本人も気づかず、誰も指摘しなかった、指摘したかもしれないが理解させられなかった、という問題があることが分かる。
そして、なぜ本人が気づかず、誰も指摘しえなかったのか。その辺に問題の本質が潜んでいるのではないかと、ワタシは思う。