水面下

妻と息子たちがそれぞれ出かけ、食器の片付けを終えてしまうと、出勤するまで10分くらい時間が余っている。私は息子のベッドに横たわり、しばし目を閉じて想像する。
想像の中で私は白い床に横たわっている。辺り一面は全て白い床だ。あまりに広く、また壁も天井も白いため、どこまでも白い世界に白い雲がたちこめて日光を遮られているような感じがする。どういうわけか床には私の影が写っていない。太陽の光は届かないしどこかに蛍光灯があるわけでもないのだが、あたりは明るく、一面の白い世界がくっきりと見渡せる。もっとも、私は左を向いて横たわっているので、見えるのは世界の半分だけだ。
私は目を閉じて横たわっている。その世界でも、私は目を閉じて想像している。横たわっている私の体の周りに少しずつ潮が満ちてくるように水が溜まっていくのだ。水は着色しているのか不自然な水色だ。スカイブルーとマリンブルーの中間くらいの、薄い青。水は少しずつ増えていき、私の髪を濡らし、床に接している私の左耳を浸す。冷たい水が冷ややかに耳の中をせりあがってくるのを私は感じる。
ふと目を開けると、目の前に鏡があり、私が映っている。水も映っている。想像の中で水が満ちてきているのか、それとも(本当の私が想像している)私の世界で水が満ちてきているのか、世界と想像の区別が曖昧になる。もし本当に水が満ちてきているのなら、このままでは私はそのうち溺れてしまうことになる。立ち上がるべきだし、そうしようと思う。
しかしふと、あきらめの感情が私を捉える。私は何かをあきらめる。一度は感じた、溺れることに対する恐怖心がすっと薄らいで、どこかへ行ってしまう。私は溺れることを恐れない。それは想像の中での出来事だし、もしこの世界で本当に水が満ちてきていても、それはそれで構わない。私はぼんやりとそう思う。
水は深さを増し、私の左目の目尻まで上がってきている。肩も、衣服も、下着も、左足もすっかり濡れてしまっている。私のペニスの先端も濡れている。ひんやりとした水の感触を私は感じる。水はどこかへ流れていったりはしていないが、体に触れても温まることはなく、私の体からゆっくりと体温を奪っていく。私は目を閉じている。想像の中で、私はゆっくりと溺れていく。口から、鼻から、水が入ってくるところを私は想像する。水は喉を通り、肺を満たし、私を窒息させる。私はどこにも行かず、水が満ちてくるのを待ちつづける。ふと、水が喉に入ったらむせるだろうな、と思う。しかし想像の中で私はむせることなく水を受け入れられそうな気がする。私は肺胞から水が血管へ入っていく様子を想像する。水が肺を満たすときの痛みを想像する。私は自分の死を想像する。
水は少しずつ満ちてくる。私を浸していく。