老人「介護」というサービスできてなさ

「今の『介護』ってなにか違うと思うんです。」
初めて会ったときに彼はそう語った。彼がいうには、今の介護はシニアの人に「なにかしてあげる」感があるという。その裏には「シニアは世話してあげるもの」というイメージが前提として、ある。
でもシニアが本当に望んでいるのは違うんです、と窪田くんは言う。家族に迷惑をかけたくない、自分でできることは自分でやりたい、シニアは本当はそう考えているというのだ。

自分でできることは自分でやりたい、まだまだ自分でやれると思っている。でも周り(例えば家族親族)に迷惑をかけているのではないか、という心苦しさもある。
家族親族としてはもう一人にしておくのは心配だから介護施設に入ってほしい。誰かの目の届くところで生活してほしい。
そういう両者の気持ちを、いまの介護サービスは汲み取れていないのではないかと思うことがあった。人を人として遇する、という気持ちがあれば、「介護」という言葉、「護る」という字は出てこないと思う。そういう違和感を、引用した窪田さんの言葉は実にくっきりと描き出してくれた。
名前重要。ワタシ的には、マラソンの「伴走」みたいなイメージなのだが、なんかいい言葉がないだろうか。