議論によって何を得るか

議論の途中でその経過を受けて意見を修正する・転換するって当たり前のことだと思うんだけど、それをこっちがやったら「ルール違反だ」と言われたことがある。いやあの討論じゃないんだからさ……。上でも書いたけど、俺が議論に求めるのは「論理的に決着がつくこと」や「お互いから有益な情報が引き出せる」であって、「自説の正しさを証明すること」じゃあない。というかそれが「議論」という行為全般の目的だと思うのだが、どうも世の中には妙なプライドが自説の転換を邪魔してる人が多いらしい。実際問題、要所要所で「ほう、そこはあんたが正しいね」って素直に言えるほうが人生何かと楽な上に得るモノも多いですよ。ホント。

全くその通り。最近blogが流行していて多くの人が自分の意見を書き連ねているが、他人の意見を取り入れて自説を変えて先へ進もう、という姿勢のものは圧倒的に少ない。ワタシこそ正しいのだ、みんな俺の話を聞け!5分だけでもいい!という姿勢のものが圧倒的に多くて…もうそういうのには意見を差し挟む気がしないのだけど、この前そういうのにうっかり意見してしまい、案の定「論点が噛み合わない」みたいなことを言われて閉口した。それでいて話の内容は本来の論点から全然違うものへ変わっていて、先の議論はもうどこか忘却の彼方。自分が勝てそうなところでしか議論したくないのでしょうか。勝ち負けじゃないと思うんだけどなあ。いかんいかん愚痴になってしまった。