麻痺することの怖さ

NTT東日本の顧客情報が Winnyネットワークに流出。 | スラッシュドット・ジャパン

(情報ソース)によれば、(流出したデータ)が、Winnyネットワークに流出した。
流出したデータは(具体的なデータ項目)で、約(数字)件に上るという。
(誰)が(仕事用のノートパソコンにWinnyをインストールしており | 家にデータを持ち帰って仕事をしており)、Winnyを経由して感染するウィルスによって流出した。
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そういうテンプレートをいつか誰か書くだろうと思っていた。既にマスコミにはテンプレートがあるのだろうと推測する。

そうやって同種のニュースが頻発することでユーザーの感覚が麻痺してしまい、流出するのが当り前であるかのような風潮になってしまったり、流出させたことに対する罪の意識が薄れてしまったり、あるいは自分の個人情報を流されてしまった被害者も「しょうがねえな」的に安易に許容したりして、個人情報が相対的に安く見られてしまい、流出した情報は使いたい放題、みたいなことになりはしないか。
また、Winny経由の流出が目立つあまり、相対的に他の流出ケースが目立たなくなってしまい、Winnyを使わなければ個人情報は漏洩しない、という風に問題が矮小化されてしまいはしないか。
そんなことを危惧している今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?(←これもテンプレ)

誤解を恐れずに言えば

Winny使うな、という風潮が広まるのは、リスクを減らす観点からはよいことだとは思うが、それよりも先に、仕事を家に持ち帰る必然性があるのか、Winny以外の安全対策はきちんとできているのか(盗難、紛失、誤送信、誤廃棄)という観点からのリスク管理が必要だろう。